ソースに絡まるエスカルゴ

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【映画鑑賞】若おかみは小学生!の感想(ネタバレあり)

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 映画の鑑賞記事が3つ目になるとは思っていませんでしたが、今話題の「若おかみは小学生!」を鑑賞(記事執筆時点で2回)したのでその感想を残しておこうと思った次第です。
 各所で絶賛されている通り傑作であることには間違いありませんので、少しでも気になるなら観に行っておいた方が良いです。ただしこの作品の核となるテーマが人によっては好き嫌いが分かれるかもしれません。

 感想や見所などを書き連ねつつ、その辺りにも触れていこうと思います。

 基本的に「ネタバレを気にしない」方向でいくので注意してください。

 また記事中に出てくる画像は全て予告からキャプチャしたものです。

 では始めます。


1:脚本の見所
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 本編94分という時間の中で1年の流れをとても丁寧に描いていました。その中に旅館に泊まりにくる人や友人の関係性、主人公であるおっこの成長もしっかりと描かれていて素晴らしかったです。駆け足気味なところはいくつかあるけれど、感情の流れや変化はちゃんと捉えられているので短いなかでもしっかりと感動させてくれます。あれだけの内容をうまくまとめた吉田玲子さんは本当にすごいですね。
 欲を言えば、120分ぐらいの尺があれば駆け足だったところもより丁寧に拾えていたかもしれないとも思いました。しかし子供向けという前提を考えれば2時間耐えるのは大変なので現在の尺が最適なのではないかとも思います。ちなみに2回目の鑑賞では初回ほどの駆け足の印象はなかったので、改めてよくまとまっていると感じました。


2:映像面の見所
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 高坂希太郎さん監督ということで全編に渡って非常に画面のクオリティが高いです。作画的にも非常に丁寧で自然な演技で「うまい!」と何度も思いました。メガネのレンズの歪みを表現していたり、料理シーンも本当に丁寧に美味しそうに描かれています。特に印象深かったのが「おばあちゃんの回想シーン」です。屋根の上に登って瓦が崩れて落ちるあたりは本当にうまかったです。どうやらここは本田師匠の作画シーンだそうです。
 美術も旅館にある机とかがちょっと傷ついたりしているのも詳細に書き込まれていました。四季もしっかりと感じ取れるような背景ばかりで本当に素晴らしかったです。
 また撮影もすごかったです。全体的にキャラと背景が馴染んでいる印象で、劇場で見た時にはそんなに感じなかったのですがテレビの特番で見た時には画面全体をちょっと汚してセルっぽく見せている処理が入っていました。特に印象に残ったのは前半の方でおっこが布団に倒れこむところです。手前の腕をかなりぼかして顔の部分にピントを合わせているという被写界深度の強調しているところがとても印象的でよかったです。


3:若おかみは小学生!はどういう話なのか
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 予告にあるように素直に受け止めると「主人公おっこの成長物語」です。確かにそのようにストーリーとしても描かれているのですが、その裏というかより作品の核となる部分はもう少し踏み込んだところにあると自分は考えています。

 というのも、最初のおっこは能動的なことは一切していません。旅館春の屋に来たのも両親が亡くなったからですし、そこで「若おかみになる」と言ったのもユーレイのウリ坊に言われたからです。転校した小学校でライバルとなるピンフリと初めて話した時も、クラスメイトが話しかけたことがきっかけです。神田親子を春の屋へ招き入れたのもウリ坊がきっかけです。このように序盤はおっこは言われるがまま動いているだけで終わっています。春の屋で神田あかねと口喧嘩するシーンでは自分の気持ちを優先させており、神田あかねをお客として扱っていない(まだ若おかみとしての自覚がない)幼さが描写されています。とはいえお辞儀の仕方などの所作はちゃんとできているので、気持ちの方がついていっていない状況なのだと思います。

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 しかし「ケーキが食べたい」と言ったあかねに対して、おっこは劇中で初めて自分の意志で「ケーキを探す」という行動に出ます。探し回ったが見つからず、でも自作の温泉プリンを食べてもらって感謝されることでおっこは喜びを感じます。
 以降「お客様のために」と自ら行動を起こしたり自分の意志で決めることが多くなります。水領とのドライブでPTSDを起こしながらも「行きます」と強く答えるところもそうです。

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 神楽の練習を始める頃になるとピンフリとは口喧嘩までやるような仲になっています。ピンフリと喧嘩になるということは、おっこが春の屋を居場所として自覚し、また若おかみとしての誇りややりがいを見出しているとも言えます。木瀬の「味の濃いものが食べたい」という注文に対して「若おかみであることを優先」させたからこそ、自分の感情よりもピンフリの協力を得るために走ったのだと思います。

 おそらくおっこ自身はここまでで「若おかみとしての自覚がでてきている」ことに気づいてなかったのだと思います。また両親が死んだという事実から気を紛らわせるために若おかみの仕事を一生懸命にやっていただけなのだとも思います。

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 そしてクライマックスで木瀬家族の真相が明かされるわけですが、ここでようやくおっこは両親の死が現実だったと認識します。「あの頃に戻りたい」と泣きわめいて春の屋を飛び出します。偶然通りかかった水領に抱きしめられ、全てを打ち明けたあと「春の屋の若おかみです」と木瀬に告げます。

 このシーンは「自分が若おかみであることの自覚とそのような人生を歩む覚悟」をした瞬間だと自分は思います。両親の死を受け入れるのと同時に若おかみとして歩んでいく、つまりは「おっこの生き方」が決まった瞬間でもあります。それはまさに子どもから大人へとなった瞬間であるともいえます。最後の神楽は成人式のようなものでもあり、おっこが大人になったからこそユーレイであるウリ坊と美陽が成仏したのだろうと思います。

 何が言いたいかというと「若おかみは小学生!」という作品は「人は周囲(環境)によって作られる」というのを核のテーマにしているのではないかということです。パンフレットや公式ページの監督コメントにも似たようなことが書いてありますし、おそらくテーマの一つにはなっていると思います。


4:テーマが故の危うさ
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「人は周囲(環境)によって作られる」のがテーマだと書きましたが、これには一種の危うさも含んでいます。というのも、これはある意味滅私奉公でもあり自分を押し殺すという風にもとれます。
 小学六年生で両親を失くしながらも「春の屋の若おかみです」と本人が言わざるを得ない環境というのも、一歩引いてみると恐ろしい印象にもなります。
まだまだ小さい子どもが重い覚悟をしなければならない状態に周囲はもっと優しくしてやれなかったのか、子どもが子どもらしくできないのは大人のせいではないのか、など色々思うところはあります。言葉だけを取り上げれば労働賛美とも受け取れるかもしれません。

 一見すると素晴らしい作品ではありますが、その裏には説教めいたものも含んでいます。それが良い悪いではなく、観た人の考え方や信念に依存するところのように思えます。意志があまり強くない人から見ると、おっこがあまりに超人じみた感じに見えることもあるでしょう。
 鑑賞後に色々考えさせられるというのもこの作品の狙いなのかもしれません。


 以上が自分の「若おかみは小学生!」の感想になります。

 素晴らしい作品だけれど手放しには褒められない、というのが自分の正直なところですが、アニメ史に残る傑作であることは間違いないのでみなさん是非劇場で何度も観ましょう。


・参考資料