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【映画鑑賞】天気の子の感想(ネタバレあり)

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君の名は。」で一躍有名になった新海誠監督最新作の「天気の子」を鑑賞しました(記事執筆時点で2回鑑賞しています)。様々なところですでに色々と語れてている本作ですが、自分なりの感想もまとめておこうと思った次第です。

 基本的に「ネタバレを気にしない」方向でいくので注意してください。

 では始めていきます。



1:初鑑賞の衝撃と戸惑い
 初鑑賞時は初日の初回でした。映画館への道のりは小雨だったのに、鑑賞後に映画館を出ると青空が見えるほど晴れていて「これが100%の晴れ女か」などと思ったことを覚えています。

 蒸し暑い帰り道の中で天気の子の感想を考えていて、まず率直に浮かんだのが「道徳的、倫理的にこの作品はどうなの?」という疑問でした。
 主人公である帆高が拳銃という暴力を使ったり、線路を走ったり、廃墟への無断立ち入り等々、違法行為を重ねていくことに対し、個人的にあまり気分の良いものではありませんでした。やっていること全てが自分勝手のように見えてしまっていました。そして最後には「天気なんか狂ったままでいい」という選択をして東京を水没させます。帆高がそこまでの惨事になると想像した上での選択かどうかはわかりませんが、結果としてヒロインの陽菜一人を救うために東京を水没させたというのが作品内での事実です。私は「できる限り最大多数の最大幸福を目指すべき」という考え方をしているため、このラストが衝撃的であると共になかなか受け入れ難いものでした。「一人の青年がセカイに対して想いを貫き通した」という物語はとても好きなのですが、違法行為の数々や東京を犠牲にしてでも一人を守るということに対して正当化するような印象を受けてしまい、好きなのか嫌いなのかよくわからないという状態になっていました。

 しかし、この作品が伝えたかったことを考えていくうちに「自分の見方が一方的なものに過ぎない」ことに気づいてからは一気に好きな作品になりました。


2:常識(マジョリティ)と非常識(マイノリティ)
 この作品のメインとなるキャラクターは家出少年、親のいない子供達、オカルト記事のライターなど特殊な環境、まさにマイノリティ側の人たちばかりです。物語の後半はそんな彼らに警察という常識がどんどん介入していきます。帆高を逮捕してパトカーで輸送している時に警察側がイライラして舌打ちをする描写もありました。
 初回の鑑賞時に感じたモヤモヤは、まさにこの「警察側、常識(マジョリティ)側の見方をしていた」ことによるものだったと思います。警察側は法に則って行動しているだけであり、帆高たちの言動は理解できるものではありません。「最大多数の最大幸福」を考えるのであれば、警察側と同じように受け入れ難く感じると思います。私もそのように感じていました。

 しかし視点をメインのキャラクター、マイノリティ側に移してみると帆高は拳銃をたまたま手に入れてしまったために、陽菜は親が亡くなってしまったのとたまたま天気の巫女になってしまったために、須賀は事故で妻を亡くしてしまったために、それぞれマイノリティ側にならざるをえなかったという背景もあります。「世界なんて元々狂ってるんだからさ」という須賀のセリフにあるように、外的要因によって狂わされた人たちがメインのキャラクターになっているということです。
 そんな彼らの背景を知らないマジョリティ側からすればどうしても苛立ちや拒否感を持ってしまうのだと思います。マイノリティ側とマジョリティ側が対峙する時の溝の表現として拳銃を向けあったり押さえつけたりなど、暴力でしか繋がりを持てないという悲しさも描かれています。これをより拡大して解釈すると、この作品は「マジョリティである大人」と「マイノリティである若者」の対立の話も描いているのではないかと思っています。

 少子高齢化と呼ばれて久しく現代の日本は人口比で見ても若者がマイノリティになっています。その若者が「マジョリティであるセカイを敵に回しても、たった一つの想いを貫き通す」という内容は、マイノリティ側にとってとても力強いエールになっているのではないかと思います。


3:ラストシーンで描かれる希望
 何より救われたと感じたのは、東京が沈んだ後に須賀が言った「お前のせいじゃない。自惚れるな」というセリフです。須賀が天気の巫女の話を信じていてもいなくても、その一言で帆高の気持ちは多少なり楽になったと思います。そしてそれを言える「大人の立場」の須賀という存在自体がマジョリティとマイノリティを繋ぐ希望の象徴のようにも感じられました。

 世界が変わってしまった後の帆高と陽菜が再会してからの最後の言葉「大丈夫だ」というのも非常に力強く勇気を与えてくれます。というのも、帆高は陽菜と再会したことで「世界を変えてしまった」ことを確信しその上で「大丈夫」と言ってる、つまりは「変えてしまった世界」に対する責任を意識しているからこそ出た言葉だと思います。今のセカイを受け入れて「大丈夫」だと、明るい未来へと進んでいこうとしている希望のある終わり方だと思います。


4:まとめ
 ある程度の年齢を重ねてしまっているために、最初の感想として「受け入れ難い」という大人な視点で鑑賞してしまっていました。それ自体が色眼鏡であり、若者の言葉に耳を傾けない古く凝り固まった考え方であったように思います。

 古いしがらみに対して「ぶっ壊してもいい、若者に未来を切り開いてほしい」という純粋な想いが込められている作品だとそう感じました。それに気づいた時、途端に好きな作品になりました。

 若者に対する希望とエールを伝えてくれるこの作品は、ずっと心に残るものになるという予感がしています。
 好きだと言える、そんな「天気の子」という作品に出会えて本当によかったです。
 

・参考資料