ソースに絡まるエスカルゴ

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【映画鑑賞】海獣の子供の感想(ネタバレあり)

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 STUDIO4℃と米津玄師の主題歌で話題の映画「海獣の子供」についての個人的な感想をつらつらを書いていこうかと思います(ちなみにこの記事を書いている時点で2回鑑賞しています)。また原作は未読です。

 基本的には「ネタバレを気にしない」方向でいくので注意してください。

 この記事で取り上げている画像は全て参考資料にある予告などからのキャプチャになります。

 では始めます。



1:作品の見方
 CMでは一般向けのエンタメ作品のような印象を受けますが、実際に鑑賞するとどちらかといえばアートに近い作品だと思う人が多いかと思います。
 一見すると難しいかもしれませんが作品のテーマだったり大事にしている部分については全てセリフで説明されているので、それらを拾っていけばなんとなくでも「こういう作品なんだな」と理解はできるかと思います。


2:メタ構造
 基本的にこの海獣の子供という作品はメタ構造になっています。
 祭りの時にデデのセリフであった「生物も宇宙も同じ、地球は子宮で隕石は精子」という言葉のように、主人公の琉花の日常と宇宙も繋がっているような構造になっています。そしてそれは琉花だけでなく、全ての生命についても同列に語られています。
 以下のシーンではクジラの白い斑点一つ一つが銀河のようにも見えます。作中にも「人間は宇宙」というような会話もあり、これは演出的にも生命の中に銀河があることを示していると思います。
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 また1つの物事も2つの視点から描かれてもいます。
 死ぬことは生まれること、見つけることは見つけられること、食べることは受け継ぐこと。
 作中で「見つけて欲しいから光る」という内容のセリフが出てきますが、光ることで他の生物に気づかれ食べられてしまうこともあります。見つけられるということは、逆に食べられてしまうというリスクもあるということです。

 琉花が巨大クジラに食べられた体内で、タツノオトシゴの光を食べようと魚が群がってきたシーンもあります。
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 もはや人でなくなった状態の海を目で見つけて、海が生み出す銀河を食べるシーンもあります。
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 食べた者は食べられた者の命を受け継ぐこと。だからこそ作中に出てくる食事シーンは印象的に描かれており、祭りの最後で海の欠片である銀河を手にした琉花はそれを飲み込んだのだと思います。
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 連綿と受け継がれる生命の壮大な物語の最後は、琉花の日常に戻ってきます。
 デデの「あなたはあなたで良い」という言葉を受け取った琉花は、怪我を負わせた相手と坂を登って向き合います。これは琉花も相手も「互いの気持ちに気づいた」からこそ、球を投げ返すというコミュニケーションに繋がったのだと思います。


3:テーマ
・「海で起きるほとんどの事は、誰にも気づかれない」
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 予告に出てくるこの言葉もテーマの一つになっていると思います。
 誰にも気づかれない中でも海で行われている生命たちの活動は確実に存在しています。主人公の琉花も自分の気持ちが他人に気づいてもらえないことに悩みます。琉花は海と空と出会って自分と世界との関係に踏み込んでいくわけですが、
 琉花が水族館で海と出会うシーンでは、最初は海が映像に映っていません。琉花が「誰!?」とちゃんと相手を認識した時に初めて画面に海の姿が映ります。シュレディンガーの猫みたいに「琉花が海の存在に気づいた」から海が存在できたという映像的な演出なのではないかと思います。
「気づく、見つける」ことで初めて「存在」することがわかる。そしてそれを知ろう、理解しようとする、いわば人間だけでなく他の生命や宇宙といったものとのコミュニケーションも描いているのではないかと思います。

・「宇宙の内の1割しか人間は理解できていない」
 こちらは作中に出てきたセリフです。同じように「言葉にすると本来の気持ちがなくなってしまう、表現できない」というようなセリフも出てきました。
 風の音もクジラの音も気持ちそのままを伝えようとしており、言葉だけでは伝えられないものを伝えようとするいわばコミュニケーションの物語でもあると思っています。「見つけて欲しいから光る」というのも一種のコミュニケーションであり、繋がりたいから「存在」に「気づいて」欲しいのです。
 だからこそ琉花は冒頭で怪我を負わせた選手やチームメイト、先生、両親とのディスコミュニケーションから始まっており、海と出会うまでは光の当たらない日陰に隠れるような行動をしています。しかし最後には怪我を負わせた相手にちゃんとボールを投げ返すコミュニケーションをするようにまでなっています。

・「生命の衝動を瞠目せよ」
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 予告にあるように宇宙の誕生までを想像させる祭りの映像はとにかく圧巻で、それこそ主題歌にある「大切なことは言葉にならない」映像の連続です。セリフはあまりなく抽象的な映像表現が多いですが、受精だったり受精卵の細胞分裂だったりと割とわかりやすい表現も多く取り入れられていました。
 生命が生まれるのと同じように宇宙や銀河も生まれている、そう予感させる壮大な映像が繰り広げられるその様はまさに生命の衝動と言える体験でした。
 そしてエンドロール後に描かれる琉花が母親と赤ちゃんのへその緒を切るシーン。「命を絶つ音がした」というセリフは母親のお腹の中という海から赤ちゃんを断ち切り(死)、新たに肺呼吸をする陸上の生命として産み落とされた(生)ということを表していると思います。出産と赤ちゃんの産声も身近な生命の衝動なのです。


4:その他気づいたところ
・琉花の膝の怪我
 冒頭で琉花も膝に傷を負ってしまい、それから何度か膝の傷に注目するカットが出てきます。これは琉花の心の傷も表しているような気がします。
 海に誘われて見た光る流星のシーンから少しずつ膝の傷が治っていき、空と出会う頃には完全に膝の傷が治っています。海と陸に出会うことで琉花の心の傷も癒えているという表現なのかもしれません。

・琉花という名前
 原作未読なので申し訳ないのですが、海と空が出てくるのにその間である「陸」が出てこないのはおかしいと思っていました。琉花という名前は「陸(りく)」を50音表で見て「り」を一つ下げて「る」、「く」を二つ上げて「か」にして女の子っぽい名前にしたのかな、とか思いました。


 以上、長々と書いていたら感想なのかなんなのかよくわからなくなってしまいました。

 とにかく感想を一言では言い表せないほどの内容と表現がものすごい映像で迫ってくる作品でした。個人的にはなんども見直したくなる作品だったので早くメディア化して欲しいですね。


・参考資料